2008年6月7日土曜日

いつのまにか携帯電話。

携帯電話が日常的に一般的になって久しい今日この頃です。
中学生とか、高校生とか、そんな時代に携帯があったらもっと人生変わってただろうなー、なんて、
そんなことを考えていたら、ちょうど素敵なタイミングで、「ほぼ日刊イトイ新聞」(ほぼ日)のうっかり防止隊メールが届きました。これが面白い。確かにそんな覚えがある!甘酸っぱい青春の思い出というか、ほろ苦い思い出というか。

名作なので、敬意を表したうえで、2008/06/04号から引用させていただきます。



たとえばみなさん、携帯電話がなかったときのことを覚えてます?
なかったでしょ、携帯電話。なかったんですよ、携帯電話。

もう、日曜日のデートに遅れたりしようもんなら、ヤバい! 超ヤバい! どうしようもない! とにかく走る!みたいな感じだったんですよ。

「わりー、本屋とか入っててー」とかあっさり電話できるわけじゃなかったんですよ。



そうそう、とにかく、外出しているときに連絡する手段が乏しかったわけで、
みんなあの手この手で連絡を取り合っていたわけですよ。
片方が必ず電話があるところにいて、(たとえば喫茶店ね)後から来る人がそこに電話して取り次いでもらったり。

そういえば、携帯電話を持ってなかった時代に、東京に出張に行ったっけなぁ。
先方となかなか連絡取れなくて。新宿駅の北口と南口を間違えて。
とにかく、先方と連絡する手段が公衆電話しかなかったわけですからね。しかも、先方の担当者もずっと会社にいるわけじゃないから何段階も次々に電話をかけて相手を探したり。伝言ゲームじゃないんですから。今考えると、すごい時代です。



高校時代なんかは、デートの約束をするにも、一苦労だったわけですよ。
だって、彼女が携帯電話を持ってませんからね。家に電話して取り次いでもらうしかないですからね。

電話して取り次いでもらうにしても、頃合いをうまく見計らわないと、兄貴が出たりするわけですよ。
「はい、クサカベです」なんつって野太い声で兄貴が出たりするわけですよ。

あのね、こっちとしてはね、お母さんが出たときのことはシミュレーションしてるけど、兄貴が出たときのことは考えてないわけですよ。

一瞬、間違えたかな? って思うわけですよ。
でも、「クサカベです」っていうから、苗字は合ってるわけですよ。

で、「うわ、兄貴だ」って思った瞬間、思わず受話器(受話器ってのも懐かしいですね)をガチャンと置いて切っちゃいそうになるんですけど、それやっちゃうと、つぎが、かけられなくなるじゃないですか。

なぜつぎがかけられないかというと、何食わぬ顔をして5分後とかに「永田ですが、ミヨ子さんお願いします」ってかけたとしても、バレバレじゃないですか。

5分前に無言で受話器置いたやつは永田ってやつだなって、兄貴にもろバレじゃないですか。

だから、予定外に兄貴が出たとしても、受話器(受話器って今はあんまり言わないよね)をガチャンと置いて切っちゃうわけにはいかないわけですよ。

だから、努めて冷静に、「ナガタと申します」かなんか言うんだけど、裏返っちゃうでしょ、声? ひっくり返っちゃうでしょ、声?「ひゃガタと申します」とかになっちゃうでしょ?

うわー、裏返ったー、とか思いながらも、そこでガチャンって受話器置くわけにはいかないんですよ。

なぜかっていうと、それはさっき説明したじゃないですか。
だから、もう、動揺する心を悟られないようにグッとこらえて、「ミヨ子さんいらっしゃいますか」って言おうとするんだけど、どういうわけか、名前が出てこなかったりするわけですよ。

動揺してますからね。声、裏返ってますからね。真っ白ですからね。
ええと、落ち着け落ち着け落ち着け‥‥と思いながら思い出そうとしてると「え?」とか訊かれるわけですよ。兄貴から。野太い声で。

そりゃそうですよね。名乗ったまま、黙ってるんですから。
うわ、もう、どうしようとか思って、慌ててたら、なんとか、うまくつなぐ言葉を思いついて「い、妹さんお願いします」とかって言うわけですよ。

そしたら電話口の相手がちょっと黙って「あの、娘は今いませんが」とかって言うわけですよ!

親父だったんですよ! 兄貴じゃなくて親父だったんですよ!




兄貴、親父も強敵でしたが、「弟」にも何かと縁があったっけなぁ。

このドキドキ感って、電話をかける側にも言えることで、自分ちでありながらちょっと余所余所しい感じになっちゃったりします。おふくろとか兄弟とか、聞かれるとまずいわけですよ。

10円玉をいっぱい持って近所のタバコ屋まで電話しに行ったっけ。あの赤い電話です。知ってますか、赤電話。10円しか入らない赤電話。
当時、テレフォンカードもなかったですから。小銭が切れたら通話終了な赤電話です。

当然ダイヤル式。
最近の子どもはかけ方解らないらしいですよ、ダイヤル式の電話。
受話器も懐かしい響きだけど、ダイヤルもかなり懐かしい。

でも、誰が出るかわからないというのは、コミュニケーションをうまくとる勉強にもなっていたような気がします。目的の人にたどり着くまでの会話っていうのがあったわけですから。
それがない今、きっと若い世代の人たちはコミュニケーション不足なんだろうと思います。

「そんなことないよ」って言われるかもしれないけど、メールじゃなくて、肉声での「会話」っていう面では確実に不足しているはずです。挨拶できないとか、愛想がないとか、そういうマイナス評価の源になっているのではないでしょうか。

便利になりすぎるといろいろ弊害があるのも事実。でも、いったん便利になったらもう後戻りはできませんし。

直接目的の人といきなり会話できる、ってすごいことなんですよ、本当は。



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